エアームドを愛したい

考えまとめみたいなの

社会人3年目(というか2021年)まとめ

久しぶりに振返り記事やる

 

1月

 

元旦は岩手県盛岡市ののえちゃんの部屋からスタート。やることなさすぎて朝から酒飲んでたらしい。台湾レギュで遊んだりもしてました。

 

いちおうシティリーグにはぎりぎり出てましたが、直前までデッキが本当に決まらずネットの海を漂っていたアメイジングライコウを考えてたりしてました。結局はチームメイトのちくわーるどが使ってたエール団三神を前日に組んでベスト8。毎回こう。

シティ終わってからずっとスーパーマリオサンシャインしてたし、資格試験もやってた。パワフル。

 

2月

 

12月くらいに契約してた新居が解禁日になりました。しばらく住んでいたわけではないので水道もガスも通さずに1ヶ月くらい放置してた気がします。NHKだけ払ってた、NHKだけ。

 

この時はまだ毎週誰かがいる大人気スポットのえ邸になるとは思いもしてませんでした。気軽に遊びに来てください。

 

後半に松阪のヤバヤバホテル泊まってこの世の闇を知りました。

 

 

3月

 

序盤はひたすら引越の準備をしていました(何ヶ月かけるんですか?)。そして中盤に三重〜盛岡間の地獄のハイエースドライビングをしました。引越最終課題のえちゃん(当時付き合っていた彼女。ポケカは僕よりは上手い。)を連れてくることに成功し、ようやく夢のような同棲がスタートしました(?)

 

引越の帰り道にウマ娘を全話見させられてなんだかんだ言いながらアプリを入れたらエアグルーヴミホノブルボンに胸を撃ち抜かれました。うまぴょい。

 

 

この月下旬にはCL愛知があったのですが仕事の都合上申し込みせず。まあ練習できていたかと言えばできてなかったので出ても良い結果は出せなかったと思います。チームメンバーが出てたのでひつまぶしを奢りました。

 

 

4月

 

本格的に同棲がスタートしたかと思いきや、本当に地獄のポケカ練習が始まりました。そりゃ同じだけのモチベーション、同等以上の実力を持った相手と一緒に住んでいるので何も起きないはずがなく…。

 

4月頭はエクバを意識してました。岩手ではなぜかエクが盛んだったのでエクの考察は割とできてたのですが、三重はそこまで熱意を持って取り組んでいる人はあまりいませんでした(偏見)。のえちゃんと2人でやるかと相談していたのですが、なんと熱意のある人がいました。ぐれくん(近所の大学生)がエクの考察をしたいと申し出てくれたので、ぐれくんを拉致りました(というか初回でお泊まりだった)。これが後に話題になるのえ邸ポケカ強化合宿の前身だったわけです。結果はぐれくんがプレマを獲得でき、4月早々からいいポケモンカードの環境を作ることができました。

 

後半にはのえちゃんが引越して即シティリーグの参加となりました。白馬黒馬が出てすぐだったにも関わらず、ぐれくんときとう(愛妻家。最近奥さんもポケカ始めた。)とまえかわ(ポケカでパチンコする男。)が家に来て夜遅くまでのえちゃんのシティの練習をしていました。結果はベスト8。今まで何度もシティリーグに出てはトナメに上がれず悔しい想いをしていた彼女ですが、ようやく成果を出せて自信をつけられると思うと自分のことのように嬉しくなってしまいました。

 

 

5月

 

きとうとまえかわとオープンしたてのvisonに行きました。デカかったです。

のえちゃんとは鳥羽水族館に行ってvisonに行きました。デカかったです。

 

頭にガルパンを全部見終えました。実はあまりアニメとかは見ないのですがきとうまえかわのオススメのためです。とても王道感あって良かったです。秋山さん好き。

 

札屋で白馬バドレックスインテを使って勝つことができて珍しく褒められたことを覚えています。その直前に受けてた試験は落ちましたテヘペロ。

 

 

6月

 

ちゃーまさん(三重ポケカ界隈のボス)が自分の働いてるところに来ました。仕事してる時の姿を見られたのは人生で初かもしれません。

 

中旬、のえちゃんが胃腸炎になりました。三重県が熱いので体調崩したんだろうな〜と思ってたら下旬には同じ症状で僕も倒れました。2人揃ってpcr検査を受けたのはある意味思い出ですが、当時ののえ邸では毎日が緊迫した状況だったためストレスが溜まっていたのかもしれません。生活の改善が求められます。

 

 

7月

 

延期になったPJCSは抽選落ち。愛知でやるので応援くらい行くかぁと前回同様ひつまぶしを奢りました。チームメイトのポンがday2進出を決め、結果はbest64となりました。彼とはがんぽけの時代から切磋琢磨しながらずっとポケモンカードをしていたので、先に結果を出されてすごく悔しい想いをしました。その直後でのシティリーグは優勝。僕より先に僕の知らない景色を見ていた彼には到底かなわない、そんなことを思いつつも地道にやるしかないと無理やり納得させました。おそらく彼は僕と「着いてこれるか」「お前がついてこい!」みたいなやり取りをさせたかったのかもしれません。

 

PJCSの翌週、あの天照CSが初開催となりました。この段階ではまさかこんなに大事になるとは思ってませんでした。協力してくれたCB津ときとうまえかわには本当に感謝しきれません。県外でイベントは難しいけど、県内ならと尻込みしてしまう方にはちょうどいいポジションで受けが良かったのかなと思います。

 

7月末にはジンさんがうちに来るようになりました。

 

 

8月

 

シティリーグのために広島まで行きました。基本的に戦う場所は選ばないため、引越してから何もしてなかったしで旅行ついでにと場所は適当に選びました。結果は僕ものえちゃんもトナメに上がれず。シティ後に行ったお好み焼きは美味しかったです。

 

この月中旬にはのえちゃんが実家に帰りました。暇だったので町田商店に行ったりカドショの大会にめっちゃ参加したりした。お前趣味あるんか?

 

 

9月

 

今話題のウェアラブル時計をもらいました、あざしたのえちゃん。前々から欲しいとは思っていて(職種的に時計はつけてなきゃいけないので)、時計も同じのずっと使ってて変えたかったし、なんかできる男感出すためにつけたかったのでもらえてとてもハッピーでした。なお、ポケカイベントではウェアラブル時計の装着は認められていないことが多いので気を付けましょう。天照CSでは認めていません。

 

他にはオタクと一緒に沼津行ったり、ラブライブの鑑賞会をしたりしました。ラブライブ、めちゃくちゃアツいのでちゃんと見た方が良い。虹はあんまり好きじゃなかったので無印やサンシャインのような熱血系のが好き。スーパースターの格付けはまだ終わってません、渋谷かのんさん好きすぎるんだけど弱点がない葉月さんも好きすぎる。9人じゃなくなった瞬間に選べられなくなるって何?

 

9月末には223さん(札屋に来る人。シティのアベレージが高い。)も遊びに来るようになりました。

 

10月

 

よく家に遊びに来るジンさんがCL京都優勝しました。おめでとうございました。ジンさんにとっては僕はモブかもしれないにしても、親しい(僕がそう思っているだけなのかもしれない)人が勝つというのはそれだけでも嬉しくて、自分もいけると思えてしまう事案でした。ちょうどCL福岡の抽選も通っていたので去年CLでれなかったこともあって気が引き締まりました。

 

同時期ぐらいによく家に遊びに来るぐれくんが町田商店で固め濃いめ多めを完飲できるようになりました。ぐれくんにとっては僕はモブかもしれないにしても、親しい(僕がそう思っているだけかもしれない)人が固め濃いめ多めを完飲できるようになると、これからもちゃんと固め濃いめ多めを食べきらなきゃいけないと気が引き締まりました。

 

また、岩手のアメマケのみっきー、ポン、すずはやがシティでトナメに上がりました。僕がそんへんで道草食ってる間に、岩手でもしっかりみんなやってて安心してると同時に、三重に行ったからってお前サボってない?って言われてるような気がして、より追い込まないといけない気持ちになりました。

 

末に出たシティリーグはベスト8。トナメ上がりから遠ざかっていたのでようやくちゃんと上がれて嬉しかったです。意味のわからんデッキで意味のわからん状態で出場したけど勝てたのは実力があったのか運がよかったのかはわからないまま、その週のCL福岡へ臨むことになりました。

 

自身のことよりも、同日に名古屋でうちによく来るのえ、ジンさん、きとう、ぐれくんの4人がチーム戦で準優勝したのが嬉しかったです。別にのえ邸は調整チームとかではないですが、それでも身内が強いという事実は自身の気持ちの支えにもなります。みんな強くてありがとう。

 

のえちゃんハッピーバースデイでした。

 

 

11月

 

人生の中でいろいろな事柄があるにしても、この月はいろいろ濃かったし1つのターニングポイントだったと思います。

 

CL福岡でベスト16。身内が優勝しているのでたいしたことないかもしれないんですが、僕の中では偉業なわけで。どんな物事に対しても天井を考えてしまう癖があって「自分の実力はこんなもんだろう」といまいち全力で取り組むことができていませんでした。競歩だってそうですし、受験勉強も仕事もそんなモチベーションで取り組んでいたのでそら結果はでません。

CL福岡もビクティニ取れればいいやくらいの気持ちだったのですが、想像以上の結果が先に来てしまったのでとても動揺していた覚えがあります。「勝手にやめるな」「いままでやってきたことは合っていたからそのままやれ」まるでそう後ろから言われているかのような気分でした。予選結果が出た直後にポンに対して「このゲームをやっていてよかった」と声が出てしまったのも、今考えると自身に「今までの積み重ねが全て返ってきた。」という事実を言い聞かせてたのかなと思います。

 

 

 

 

↑送られてきたリプで一番嬉しかったやつ。自分が追われる立場にいるとは思ってなかったし、自分が自分の実力を信じ切れてなかったのでいろんな物がこみ上げてきた。

 

まあトナメは1没だったので実力うんぬんよりも実は運だったのでは?と割と冷めた感情でCLを終えました。今更ですが調整してくれた人、応援してくれた人本当にありがとうございました。

 

 

下旬には大学の時に仲がよかったみっきー、ポン、シオナの3人が三重に遊びに来てくれました。

pondering.hatenablog.jp

 

詳細は全部これ。基本プランは自分で全部考えたし、それを喜んでもらえて嬉しかったので、ある種の意味で自分にサービス業(特に対面して自身の提案を聞いてもらう系のやつ)に適正あったんだなと思いました。今の職に活かせるかは置いといて。

 

 

12月

 

上旬にぐれくん、223さん、27缶さん(四日市のボス)とのえちゃんでたこ焼きをやりました。岩手大学在籍時もよくやっていたし、どこに行っても自分のやること、自分のポジションは変わらないものだと嬉しいような悲しいような感情を抱きました。上の旅行の部分でも触れましたが、たぶんそういう企画や提案が好きなんだと思います。転職するか。

ところではやくぐれくんは早くたこ焼き記事書いた方が良い。

 

12月は3回くらい自主大会に出ましたが振るいませんでした。たぶん気持ち的には驕っていた部分もあったと思いますが、むしろ負け続けてくれたおかげで自分のポケモンカードのへの向き合い方がはっきりしたようにも思いました。大会の前日にデッキを組んでも良いことはない。戒めです。僕の得意なことは堅実なメタ読みだからこそ、さっさとまとめて練習すべきです。

 

スタートデッキ100が販売されて1週間で30種くらい集めました。しばらくしたらまた増やすので一緒に遊びましょう。

 

下旬にはついに辞令が下りました。今の通勤時間と比べて倍以上かけて通勤しなければならなくなったので平日ジムバトルはほぼ参加できないもしくはCB津が限界かなと思います。僕が王の洞窟の非公認に参加してたら仕事やめたと思っておいてください。

 

 

そんな感じで激動の2021年は終わりました。2022年もよろしくお願いします。